ある方が禅寺で修業中、和尚さんにこの道を掃いておくようにとお寺までの道の掃除を頼まれた。さっとやって終わらせてしまおうとすべて掃いて、やっと終わったあとは休めると思ったらまた枯葉がサラサラッと落ちてきて振り出し、また掃いて今度こそ終わったと思ったら、また枯葉がサラサラッと、「もうこんな馬鹿げたことやってられん、こんなことなら終了一時間前にまとめてやろう」と休んでいたら、和尚さんに見つかり「お前はどこを掃いているんだ!!」と怒られたという話を聞きました。
和尚さんがいうに、この掃除の意味は枯葉を掃くことではなく、己の心を掃くんだということらしいのです。
この話を聞いたとき、「あっそうなのか、これは日常の生活についても当てはまるんだな」とふと思いました。町の道端には次から次にゴミが目に付き、拾えど拾えどきりが無く馬鹿らしくなってくる。しかし、実はこの場面も和尚さんの場面と同じで、ゴミを拾うのは町をきれいにすることなのだけれど、もっと奥の意味では、自分の心を整理するということなのかもしれない。そんな風に思うと馬鹿らしく思っていた思いも薄らぐ。
やはり物事考え方次第ということでしょうか。
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