2007年10月31日水曜日

起きて半畳、寝て一畳

アメリカでもっとも富裕層の率が高いのは、移民の一世、二世。
何も持たずにアメリカにやってきて、小さな商売をはじめ、
コツコツとお金をためてきた人たち。
モチベーションが高く、もともと貧しいので、質素な暮らしに耐えられる。
そうした生活をしていると、お金は自己増殖する。
一方、医者や弁護士の方は収入は高くても派手にくらすから自転車操業になる。
「となりの億万長者」トマス・J・スタンリー

収入は高くても派手にくらすから自転車操業になる。
最近私も実際にそういった方にあった。
お金持ちの方はお金を稼ぐが、それに見合った出費もする。
お金はどんどん出していかなくては、増えないので、これは間違いじゃない。
しかし生活としては、そこまでゆとりが無いという人も多い。
ペントハウスで夜景が絶好の自宅と、東京の賃借りアパート。
どんなライフスタイルを選ぶかで、お金の額も変わってくる。
起きて半畳、寝て一畳。
自分が人生の最期まの日まで、どう歩もうとしているのか。じっくり考える必要がある。

2007年10月30日火曜日

どっちが先か。優先か。

読書が大事なことはわかっているけど、忙しくて読む時間がない。
最近そんな状態だ。

しかし本日さらっと目を通した本「レバレッジリーディング」に
忙しくて読む時間がないというのはまったく逆で本を読まないから時間が無いのだと書いてあった。
確かにそうかもしれない。どんなに忙しくても、本を読む時間などを作ったほうが、
本を読み、先人達の知識やノウハウが詰まっているからかえって効率よく動けるのかもしれない。

そういえば、ある本にも同じようなことが書いてあった。木を切るときに錆びた刃でいきなり切り始めるのではなく、
時間がかかっても、しっかり刃を研いだ後に切ったほうが余計な力もいらないし、
かえって時間は早くなる。

自分の時間をしっかり作ってみよう。

2007年10月29日月曜日

たったひとつのこの頭

ビデオにて、植村直己物語を見た。

なぜ冒険をし続けるのかとの問いに映画の中で、植村直己は答えている。

人間が自然と闘ってどこまでやれるか限界に挑むこと。きちんと体力ふりしぼって
生きることの限界を試すこと。近代的装備と集団の力さえあれば、今登れない山なんて
ない。でもそういう登山は人間を歯車にしてしまう。
私が感じたいのはたったひとつのこの体。たったひとつのこの頭。
生きる対象体としての自分自身。

死の恐怖をきちんと感じているからこそ冒険家。
死を感じれば感じた分だけ生への執着心が強くなる。

2007年10月28日日曜日

信頼できる人生、できない人生

どんなに忙しくても月に一回は映画館で映画を見ることにしている。
昨日は英語レッスンのために府中に行ったのだが、台風のせいか休みだったので、
府中の東宝シネマズで「グッド・シェパード」という映画を見た。

この映画を読み解く重要ワードは
「彼は知りすぎた。」
「誰も信じるな。」
アメリカ中央情報局つまりCIAができるまでというストーリー、
知りすぎると殺されてしまうストーリーだ。
(CIAの前身OSSから、イェール大学にある秘密結社スカル・アンド・ボーンズなども登場)


この映画を見た後の第一印象は、
「人を信頼できない人生とはなんとむごいものか。
 身内さえも信頼できない人生はなんとむごい。」

私は子供のころは007などを見て諜報員になりたいなどと思っていたが、
この映画を見終わってから、絶対になりたくないと思った。

そもそも、諜報員はなぜあのように昨日の相棒をいとも簡単に裏切ったり、
殺してしまうのか。

おそらく一人一人の、一つ一つの決断が重すぎるのだろう。
日常生活では、国を背負った決断や、生きるか死ぬかという決断がそうそうない。
しかし、映画の中の人物達は自身の一瞬の決断が何千人の命にかかわったり、
即自分の生死にかかわってくる状況、そんな中で、果たして自分なら約束を果たせるか。
まず無理だろう。一人を殺して国家を救うなどということもでてくるのだろう。

普段の私達の生活には、即、生死かかった約束事や、一つの決断が国の未来を左右することなどはあまりない。(ある人もいるかもしれないけど)
例えば、何千人もの命がかかった計画のときに、自分の家族との、
息子との約束を優先できるか。それとも息子を優先できるか。
優先順位とはすべてそうだが、どちらかを優先するということは、暗に一方よりも、
もう一方の方が重要だといっていることになる。
お前よりこちらのほうが重要なんだといっていることになる。
苦しい決断だ。そもそも、ベストの選択は、そのような状況自体を生み出さないようにする、
もしくは近寄らないことか。
諜報員はとことん情報を集めなくてはならない一方、
仕事のやりすぎ(知りすぎる)はいけない仕事ナンバー1?

2007年10月27日土曜日

人格 品格 知識

成功の収入の違いはシステムの違い。
その人の成功の度合いは、人格と品格と知識の違い。

人格、品格は一朝一夕には得られない。
本当に大切なことには、手間もかかるし、時間もかかる。
でもやらなくちゃいけないんですね。

バランス

今日関西の先輩社長さんに聞いたお話を2つ。

まずバランスのお話。
精神力と体力のバランスがとれていないと、どちらがパワーありすぎても
気違いになる。たとえそれが真理であったとしても精神力だけありすぎて、
体がついていかないと気違いなのだ。
なるほどそれは、あるかもしれない。

次に気遣いの話。
関西では、気を使うなら銭つかえ。というらしい。
これは、一見すると、カネを使っていれば、気を使わないでよいともとれるが、
実は、銭というのは結局関西人の最も大切なものを意味していて、その自分の大切な銭を
相手に使う、最も大切なものを相手に捧げるということで、実は裏を返すと最も気を使え
ということらしい。ただ金を使えということじゃないのだ。
ではそのような気遣いのポイントはなんなのか。
「いつも人さまのためにお役に立ちますと考え、お役に立たなければ生まれてきたかいがない。」
そんな思いで常に人と接することだとおっしゃっていた。
うーん、気遣い、本当に足りないんです。私。

2007年10月25日木曜日

外からの目標

今、立花隆さんの「宇宙からの帰還」を読んでいる。

その中に以下の記述がある。
人類で2番目に月に足跡をしるすという偉業を成し遂げながら、
精神を病んだバズ・オルドリン。宇宙体験がネガティブに働いた唯一の例とも言われている。

大目的を果たした後、人生の目標を見失い、心が空虚感を埋めようと
外側から押し付けられた目標やイメージに自分を合わせようとしてきたことが
精神を狂わせた。
「宇宙からの帰還」立花隆

じつは私は昨年アメリカのロスでバズ・オルドリンにお会いしたが、その時点でまったく
こういったことは知らなかった。
自ら考え抜いた目標と外側からの目標には大きな大きな違いがある。
自らの芯から出た目標の大切さ。
私も自らの目標を日々見直し、心の声を達成していきたい。

2007年10月24日水曜日

現場。

自信の源は知識。
そして知識は現場にしかない。

これは先日ある社長さんに言われた言葉です。
現場主義。すべて自分が動いていれば自然に情報も集まってくる。
動いて動いて、考えながら同時にとにかく動いていきます。

2007年10月23日火曜日

どうやってお金を使うか。

本日ある社長さんの付き人をさせていただいた。
生活のリズム、考え方がまったく別もので、本当に勉強になった。

その方がおっしゃっていたが、
お金持ちに共通しているのはみんな行動はやく、お金を稼ぐことというより
みんなどうやってお金を使うかを常に考えている。使わなきゃ儲からん。

まさにそのとおり。その方の行動も考えも、お金に対する考えもこの考えを実践している。
お付き合いもお金の動きも次元が違った。

人間は付き合っている方、お客で変わる。

2007年10月22日月曜日

出会いの根っこ

出会いの根っこになれ。
人の出会いをさばいているうちは、百年たっても物にならない。
自分で出会いを作れ。

2007年10月21日日曜日

人材。人と人

先日、ある方によい人材を得るための考え方を教えていただいた。

よい人材を得るには、まずその人に自由を与える。
そしてその人がその自由の中で自己責任で行動できているかを見分ける。
自己責任している人を増やすには、根底に愛と信頼を与えること。
さらにその上に、情熱をもつこと。愛や信頼も情熱がないとその人の心までとどかない。

2007年10月17日水曜日

映画で戦争なくせますか?

先日映画監督の秦さんのお話を聞いた。

よい映画(movie)のとは人を動かせる映画。
映画で人を感動させる、動かせるものこそmovieだ。

では人を動かせるというのなら、よい映画で戦争なくせるのか?

直接的には無理かもしれない。
しかし映画は文化だ。文化の延長にあるのは、ある時代では抑止力。
映画「シュリ」、「ヨン様」などから韓国との距離が縮まったように、
アメリカ人が原爆の前にアメリカ人がたくさんの日本映画を見ていて日本が大好きだったら原爆が落とせなかったかもしれない。
戦争や争いごとは結構、顔が見えないことが原因かもしれない。

2007年10月16日火曜日

on the boll, off the boll

先日、Jリーグサガン鳥栖,松本育夫監督のお話を聞いた。

サッカーの中で人間の考えが瞬間的にすべてでる。
「on the boll, off the boll」
サッカーでは90分の中でボールに触れている時間は優秀な選手でも数分。
残り50分以上はボールをもっていない時間。ボールをもっていないときの大切さ。

どのサッカー選手がよい選手か見分けるには、
ボールをもっている人から一番遠い選手をみる。
そのとき何もやっていない選手は駄目。

ゴルフなどをやってても人間性がわかるといいますが、
どのスポーツでもでるんですよね。人間性。


 

2007年10月15日月曜日

目だけはいつも

先日「情熱大陸」でプロゴルファーの上田桃子を特集していました。

簡単に上田プロの信念が感じられる言葉をまとめると、

やるときは何も恐れずにやる。
自分なら大丈夫、いつもそう思っている。
気づいたからには即実行。
自分を天才だとは思っていないけど、いつもなんでもできると思っている。
でも、もしやれなかったときはハンパじゃなく練習する。
前しか見ない。いいことも思い出さない代わりに悪いことも思い出さない。
死んでも又ゴルフをする。



これらの事は、ドキュメンタリー中の上田プロの実生活からも感じ取れた。
一見はじけた性格だが、練習もおろそかにしない。
ある試合で自分の目標を達成できなかったとき、周りにプロが帰ったあともひとり残って泣きながら練習していました。

最後に「一番好きなとこはどこですか。」この問いに。

「目です。目だけはいつも生きているように。」

胆力と目力。上原さんの目はとてもいい目をしておりました。
目力がある人は魅力的です。
目力!一番欲しいです。

2007年10月13日土曜日

二利円満

本日本当にすばらしい方とお会いした。
私のこれからのビジョンまったくそのままを実際にすでに行っている方で
まだお年も31歳。

その方のお話は本当に得るもの多くすばらしかったのだ。
ここではその中のワントピック、ニ利ということについて。
二利とは仏教用語で「自利利他」のこと。
公共の利と自分の利が一致していることが、すべてが上手くいく秘訣である。
「自利」と「他利」を円満することこそ、古来、仏教の大道。
世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。

二利円満。仏教だけでなく、生活、ビジネスすべてにいえることだ。
ここは本当に重要だ。
私も本当の「自利」と「他利」をしっかり見極め、行動していこう。

2007年10月11日木曜日

ささげる

倫理で勉強している項目に「己を尊び人に及ぼす」というものがある。

自分の大きな向上、躍進、完成は、自分をむなしくすることである、
身をささげることである。
最も自分を大切にすることは、自分の個性を、出来るだけ伸ばして
世のため人のために働かすことである。

自分自身を尊ぶの究極は、ささげるにある。
なんと深い言葉でしょう。これを自分の心の底から言えるようになりたいですが、
まだまだ、まだまだ、まだです。

2007年10月10日水曜日

人生ダブルで

ある方が言ってました。
人生ダブルで生きよ。
仕事で全力を尽くしたいのなら、趣味や遊びにも全力を尽くせ。

確かに中途半端に遊んでいても、駄目ですね。
つまりメリハリ、何事にもメリハリということでしょうか。

2007年10月9日火曜日

連戦連敗

安藤忠雄さんの本を読んだ。
「連戦連敗」安藤さんの仕事に対する思いが書かれているすばらしい本だ。

その「連戦連敗」の中のある箇所に

建築の世界はほかの分野と比べると比較的作家としてのデビューが遅いといえます。
社会性の強い仕事である分、40歳過ぎくらいにならないとまとまった社会的な仕事は
与えられにくい、諦めずにがんばりとおせる粘り強さを必要とする職業なのです。
建築家として生きていこうとするならば、まず自分というものがしっかり確立されて
いなければならない。
デザイン感覚、知力も無論必要な能力ですが、それ以前の人間としての芯の強さ、
即ちいかに生きるかという、その生き方が何より重要なのです。

巨匠といわれるルコルビジェやルイスやカーンでさえも、決して人生の始まりから
日の当たる道を歩んできたわけではなかった。
若き建築家の意欲的な試みや斬新な提案を社会は用意に受け入れなかったからだ。
大抵の人間はこの苦難のときに耐え切れずに終わってしまう。
しかしル・コルビジェもカーンも決して諦めなかった。妥協していきるのではなく、
戦って自らの死をうを世に問うていく道を選んだ。
安藤忠雄 「連戦連敗」より

安藤さんは元プロボクサー、建築の勉強も独学。
芯の強さは何事にも必要なのだ。

情熱があれば、霞を食ってでも生きていける。
ただし中途半場な情熱では、霞を食らうことができない。
何事も徹底的に極めればよし、しかし極めるまで耐えるのが難しい。

2007年10月8日月曜日

TENORI-ON  あぁ劇的3時間!!連鎖まさにスパイラル

昨日東京青山スパイラルホールで行われている「劇的3時間SHOW」を見に行った。
昨日の語り手はメディアアーティストの岩井俊雄さん。
岩井さんは様々な活動をしているが、例えば簡単に挙げてみると、
任天堂DSのエレクトロプランクトンなど、かなりおもしろい光と音の作品を作っている方だ。

そしてその岩井さんが最近開発した、大衆向け最新作とが、ヤマハの「TENORI-ON」 。
これがまさに劇的!!
「TENORI-ON」 とは簡単に説明すると、光と音で、本当に感覚で音楽を作る楽器だ。
その時々の気持ちを感覚で自在に音楽に変換する、どこでもミュージック、どこでもDJ。
この「TENORI-ON 」現在イギリスでの試験的販売のみだが、まさに劇的。

しかし、さらに個人的に劇的だったことは岩井さんの何気ない一言だった。
アーティストとして活動していた岩井さんはあるとき、
「自分が今まで受けた感動を皆様にお返ししているだろうか。」と疑問に思ったらしい。
「感動のお返し」。この何気ない言葉が、私にはまさに劇的だった。
今まで、私は、感動というのは自分自身が勝手に感じているものと思っていたが、
感動も、受け取っているだけじゃなく、みなさまにお返しするものだったのだ。
人から受けた厚意(親切)ありがたみを、世界に返すということは、私も意識していたが、
まさか人ではなく、物、景色、作品などからうけた感動も誰かに返すものだったのか。
正直、本当に当然のことだが、今までの私には完全にその思考回路が抜けていた。

感動も単に受け取っているばかりではなく、みなさまにお返しするものなのだ。
例えば、私がゴッホの絵で感動したらその感動と同じ大きさ、もしくは2倍、3倍の感動を私は誰かに返す、
ある景色で本当に感動したらその感動を誰かにしっかり返す。
ある映画に感動したらその感動を誰かに返す。
感動の連鎖を作る。そういうものだったのだ。
ああっ、もっともだ、感動とは返すものなのだ。
感動も頂いている、受け取っているだけじゃだめなのだ。

岩井さんも、岩井さんが今まで受けた感動のお返しの一つとして、今回の「TENORI-ON」を世界に生み出したのだ。
感動の連鎖、感動のスパイラル!まさに劇的3時間!!スパイラルホール!!

書道と骨力

書道をこれからはじめようと思い展覧会に行った。
そこでとても魅力的な字に出会い、また偶然にその作者の方と話す機会を持てた。
その方が言うに書には、骨力(気力のようなもの)が必要。
また書は、体は衰えても、骨力があれば、字は光り輝きよくなっていく。
精神力を徹底的に鍛え、自分を精神的に追い込み、浅くでなく、深く生きよ。
書には生き様がすべてでる。苦労するほどよい字が書ける。
常に少しずつでも日々、精神的に今までの自分よりよくなることを目指せ。

まさに人間論。
確か中国のなんか武道の映画でも、武の達人は書の達人ということを言っていた。
実はそういうものなのかもしれない。
現代で言うと武はビジネスになるのか。
松下幸之助さん、田中角栄さんもすばらしい字を書いたというし。

私も胆力ある字が書けるように是非なろう。

2007年10月6日土曜日

家の前にゴミ置くのやめてくれないかなぁ

ごみ収集の次の日の朝、分別されてないゴミがいつも家の前におかれる。
私が今住んでいる家は築70年の古いアパート、ちょっと見た目ボロイ。
だから分別されてないゴミはきっとここの住人の仕業だろうと根拠なしに推測され、
分別されてないゴミは家の前に置かれるわけだ。
ただ、このままゴミ放置じゃしょうがないから、私、ゴミを分別し直すわけだが、
分別中にでてくる郵便物などのゴミの宛名があきらかにこのアパートじゃない。
本当にどうしょうもない。

先日、テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」でごみ分別について取り上げていた。
コンビニへのまったく分別されていない家庭ごみ持込。月6万円ほどかかって、分別は店員が苦労しながら分けている。そして府中でも分別していないゴミの不法投棄。
どいつもこいつも分別してない。ほんとに駄目だ。

しかしふっと、なんで分別分別言うのか。
またなんでみんな分別しないのかと思いたった。

まず、ゴミ分別の理由は、
どうやら簡単には
●最終ゴミ処分場の逼迫(処理場の問題と、ゴミは「分別センター」で分別しているが、分別しきれない量だそう)
●資源の有効利用促進(つまりリサイクル)
以上の理由のようだ。

次に今分別しない人がいる理由は、
●製品の素材が多様化・複雑化、ごみ分別の種類が細分化され、毎日のごみ分別にがわけわからない。実はここは私も頭を悩ませることもしばしば。壊れたMP3は燃えないゴミかなぁ、いや
●地域によって分別の種類が違う。
プラスチック製卵容器は、世田谷区では不燃ごみ、名古屋市では資源(プラスチック製容器包装)など。

となると、解決策としては、
ゴミ捨て自体を楽にするため、ゴミの出ない商品パッケージング。
分別しやすい環境に帰りやすい素材。
そしてそういう素材をメーカーが作れるため、消費者(特に分別に自身が無い人)が選ぶ。
でどうしても出たゴミは捨てる時は、各人意識を持って分別する。

まあ、ゴミを作るほうも、捨てる方も、すべての人一人一人が、ほんのちょっとでも、「ごみ分別は、環境問題の中でも最も身近な問題である」と意識してということか。

でも家の前に分別されてないゴミを置くのはやめてほしいなぁ。

2007年10月5日金曜日

成功マニュアルマニア

現代は文字の上では、真理は溢れていると思います。
中古古本屋のブックオフなどでは100円でも、様々な先人の方の真理が売りに出されている時代です。
ただそれを読むのと、実際につかめるかはやはり違います。
私も、松下幸之助さん、中村天風さん、ジェームスアレン、カーネギーなどたくさんのすばらしい本を読み流していました。しかしあくまでよいこと聞いたなあ、と読み流しすだけ、 自身はまったく変わっていない成功マニュアルマニア。

さすがにこんなんではだめだと、最近はとにかく小さなことから実践、実践。
やっと少しずつですが、実践することで「あっ、あの本のあの箇所はこういうことなのかな」と徐々にですが感じられるようになりました。
本当に自らでわかるにはにはやはり実践あるのみですね。
実践していくことで、何年も前からもっていた本のほんの一行の内容がやっとわかる。
物事を本当に学ぶには自らの実践、体験なしには学べない、安易なショートカットはやはりないのだなと事あるごとに反省です。

2007年10月4日木曜日

漏電、放電。

ある方の話を聞き、何年ぶりかに感動して号泣きしました。
そのある方は両耳が聞こえ難いです。
そのある方は手が上手く動きません。
そのある方は足が上手く動きません。
しかし境遇と運命を自ら切り開いておりました。
それに引き換え自分は、と思ったときに
自分は・・、自分は・・・、自分は・・・・
と泣きました。
漏電です。放電です。
頭ばかりが先に行き、実際の行動に結びついていない「行動渋滞」を起こしているので、
行動という本来流れるべきところに上手く流れていないパワーが漏電し、放電し泣きました。

2007年10月3日水曜日

あっすげっ!

よく言われている言葉

聞いたことは忘れる、
見たことは覚える、
やったことはわかる、
感動したことは始められる。


何かをはじめ、継続するには感動が一番です。
例えば、他の人にどんなに英語を勉強せい、勉強せいといわれても、
実際海外に行き、心から英語をしゃべりたいと自ら思えば、誰に何を言われるよりも意欲(パワー)を生み出す。
私も英語はきらいだったが、海外に旅行にいき、「あっすげっ!」と思った途端に変わりました。
「あっすげっ!」、その思いから勉強しました。
「あっすげっ!」、その思いが薄くなると比例して、勉強のペースも落ちました。

毎回海外などいかなくても、毎日日々の生活の中に新鮮さを見出し、
一瞬一瞬に感動できるか、柔軟な心を保てるか、同じ物事に変化を見出せるか、
これらが、仕事でも、趣味でも、何かを始め継続していくことの、ポイントなのかもしれない。

興奮しやすく、冷めやすい
そんなんじゃいつまでたっても駄目なんです。

2007年10月2日火曜日

目標を小分けし、そして愚直に実行

目標までは小分けにするとよいという。そして後は愚直に地道に徹底的に実行。
そうしたことが、積み重なり結果的に大きなものを生む。

まず目標は、本を読むという漠然とした目標でなく、今日5ページ読むとかより具体的に。
洗車する、毎日走るじゃなく、10分車のガラスを拭く、10分走るなど。
そしてポイントは2時間走るなどと、はじめから大きすぎる目標にしないこと。
小分けした目標をきめたら後はひたすら徹底的に実行。

この実行の究極を、「運命を分けたザイル」という実話をもとにした映画の中に見た。

片足を骨折し、山のクレパスに落ち、もう死を待つしかない主人公ジョー。
気の遠くなるような、絶望的な状況を一つ一つできることを愚直に実行していくわけだが、
本当にジョーの意志の力が、すさまじい。
ジョーはクレパスをすさまじい意志の力で脱出した後、さらに絶望的な状況、クレパスの地雷だらけの下山の道を骨折した足で、這っていく。
絶望的な状況の中でも、目標を小分けし、20分で必ずあの地点までいくと自分に約束し、それを必ず守っていく。それを何度も何度も何度も繰り返し、ジョーの目標とした地点につくわけだが、本当にすさまじい。圧巻としかいいようがない。

私なら間違いない、絶対にクレパスに落ちた時点で絶望して即死だ。
また仮にクレパスを抜け出たとしても、その後の下山、這い進むこと、3回ぐらいで絶望し
諦め、眠ってしまい死ぬだろう。

本当にすさまじい。目標を細分化し、できることを愚直に地道に徹底的に。まさにその究極を見た。

2007年10月1日月曜日

自意識過剰

自意識過剰。それは自分を意識しすぎること。
自分の属性を自分で把握しようと努力しないがゆえに自我が確立できず、
他者の言動に必要以上の神経質さで反応してしまう不安定な人。

自意識過剰は若者ならではの病気。
こういっている方がいた。
確かに、そうだ。
若いうちは何かとある。
おやじさんになってくると、ある点では自意識がだんだん薄らぐ。
しかし、すべてそうともいえない、見栄なども自意識の一部だから。